古道の旅「手広 谷戸坂の切通し」(神奈川県 鎌倉)

鎌倉の切通しの一つ「手広 谷戸坂の切通し」をご紹介します。

いわゆる「鎌倉七口」とは別の切通しですが、原型のよく残っている道の一つ。
かまくら景観百選に選定されています。
観光化されていないためひっそりとしていますが、あじさいなど季節によって変わる要素もあり飽きさせません。

切通しの正体は江ノ島道

この古道の正体は、文献不明ながら藤沢から江ノ島に抜ける「江ノ島道」の脇街道で、戸塚宿から江ノ島を結んでいたようです。
少し距離を離して女坂と男坂があり、見事な切通しと掘割が見られます。
男坂は尾根道への直登コースで距離は短いが傾斜が急。
女坂は迂回ルートになり距離は伸びますが、傾斜はゆるいです。

謎なのが2本も必要かということで、メインルートでもなく、大仏の切通しの傾斜を考えると男坂でも急すぎるというわけでもないので、2本の必然性が感じられません。
道の形態としては、女坂の方が稜線を通ることから「かまくら道」の要素が強いので古そうではあります。
手広は暴れ川と言われた柏尾川の流域であり、深い沼地が広がっていたそうで、このあたりもヒントになるかも。

男坂のほうが道幅が細く、少ない交通量を想定しているようにも思えます。
男坂の隣には廃止になった鎖大師参道(隧道)があるのですが、男坂があればあえて必要のない参道なのでこれまた成立時期が気になるところ。

女坂入り口(手広側)

手広交差点から西鎌倉方面へ歩き、鎖大師正門の道路向こうにある細道(斜面沿い)を進むと見つかる。
西鎌倉側の入り口よりは見つけやすいので、こちらから登ることをおすすめ。
写真にある草生した階段が入口です。

女坂 切通し部分

閑静な住宅地から登ると、いきなり蛇行した切通しに。
入り口のやぐらには現役のお墓あり。

女坂 切通し部分

女坂が維持されてきた理由の一つは墓地の存在でしょう。
切通し以外に到達できる道がありません。

女坂 掘割部分

切通しを抜けると大規模な掘割にたどり着きます。
ほぼ直線コース。
七口と遜色ない規模であることから、かつての交通量の多さが想起されます。

女坂 石碑群(年代は江戸時代から昭和まで)

なぜか男坂側にはない石碑群。
年代は豊富です。昭和になってからも造られていたことが意外です。

女坂 稜線の光景

女坂の最上部は畑になっています。
車道からは見えないので、隠れ里みたいな雰囲気。

女坂 稜線の光景 手広方面を眺める

ハイキングコースのようなよい眺め。
崖下の集落の外れに男坂が続いています。
この崖はあじさいがたくさん植えてあるので、季節があえばぜひ下からも見てみたい。

鎖大師参道

いまは廃止されてしまった参道。
男坂の切通しの真横にあります。
昭和32年に県道304号の切通しができたときに反対側の入り口が切り崩された。

男坂 切通し前の石碑

現在の鎌倉山には手広村の耕作地があったそうで、この石碑は寝池(現在の猫池住宅)の周辺を開墾したことを記念して建てられました。
文面には男坂についての記述はありませんでした。(残念!)

男坂 10mを超える高さの堂々たる切通

今は通行不可となっていますが、街灯の存在が生活道であった証。崖自体は安定してそうなので、通行できないのが残念です。写真は手広側から撮ったもの。

2016年にすぐ隣で宅地開発が行われましたが、手広側の出口真近まで擁壁がせまっているもの、切通し部分は両岸ともに残存しています。

現代版切通し

昭和32年に自衛隊の協力のもとに作られた道。
青蓮寺の境内を切り崩して作られました。
地形から見るに、もともとは谷戸のどん詰まりであったようです。

青蓮寺 鎖大師

変わった名前ですが、寺に鎖で可動する大師像があることから名づけられました。
後ろの山に登る細道が境内からあるのですが、かつて修行場であったそうで、石像が数多く残っています。
花が豊富なお寺なので、それだけでも楽しいところです。

手広の古民家

男坂から降りたところにある古民家。
この辺りは、藁葺き屋根など古民家が多い地区ですね。

現地地図

女坂

男坂

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